神さまからのウェディング・ギフト 

一昨日(2日)は、夫の同僚の結婚式に行ってきました。

ここ数週間、かなり忙しかった夫、先週も火曜日から木曜日まで、ブライトンのカンファレンスに行って来たばかりで、かなり疲れていて、土曜日の朝の朝になって、「結婚式、行こうかどうか」迷い始め・・・

式を挙げる教会が遠いし・・・と、ぐずぐずといつまでも腰をあげず、だんだんすっぽかしモードになってきた夫。私も、行かないですむんなら、ラクだわと思って、そのつもりになっていました。

教会のあるところが車で一時間以上かかる・・・というのですが、地図でみてもせいぜい車で30分くらいのところ。うちの夫、地図をまったくみないで、カーナビに頼りきっているのです。どういう調べ方をしたかわからないけれども、それで運転時間一時間以上、という結果がでたらしい。

私が、「えー、カーヌースティーって、ブローティー・フェリーのすぐ近くだよ」といって地図を見せて、はじめて自分とカーナビの勘違いに気づいた様子。

今から出かける準備をしても充分間に合うことに気づき、「よし、行こう!行かなかったら、恥ずかしい」。いつも、こうなんです・・・夫の気まぐれに振り回されてる私(涙)。

カーナビによれば、かなり早めに着くはず。「遅れるより、いいよね」なんていってたら・・・

私が大雑把に考えていたルートとは違うルートを教えるカーナビ。もちろん、カーナビの言うとおりに、左折する夫。ところが、この日、工事かなにかがあったらしくものすごい渋滞にはまってしまい・・・しかも、カーナビが考えている道路は封鎖されていて・・・

カーナビがアテにならなくなってしまって、地理感覚をなくしてしまったのですが、幸い車のなかにダンディーの地図があったので、なんとか目的地にたどり着くことができました。10分ほど遅刻してしまったけれども・・・

式とそのあとのパーティーについては省略します。写真も撮ってないし(笑)。私、新郎には3,4回、新婦には一回しかあったことがなかったので、親しくもない人間がパシャパシャと写真を撮るのもどうかなーと思ったので。

そのかわりに、とても面白いことがあったので、そのお話を。

新郎のベストマンは新郎のお兄さんだったのですが、スピーチのときに、お兄さん、新郎の子どものころの写真何枚かを印刷した小さな写真集を、来客に配りました。そのうちの一枚が、家族(お父さん、息子)でサポートしている地元のサッカーチーム、ダンディー・ユナイテッドの選手3人と、少年時代の新郎が一緒に写っているものでした。

食事の部がおわって、夜のダンスのためにテーブルを片付けたり、バンドのセッティングなどをしなくてはいけないので、来客は外で写真撮影や歓談をしていました。ちょうど新郎のお兄さんに会ったので、手に持っていた新郎の新郎時代の写真集をみながら、話をしているところに、ほかの人がお兄さんに、なにか言いにきました。

ちょうどすぐそばの駐車場にとめた車から出てきたのが、元ダンディー・ユナイテッドの選手で、なんと、子ども時代の新郎と一緒に写っている3人の選手のひとりだったのです!こりゃ、サインをもらわねば・・・と、お兄さん、手にしていた写真集を「これ、もらっていってもいい?あとで別のをあげるから」いって、その選手のところに行って、声をかけ、事情を説明して、サインをもらっていました。

残念ながら、新郎は近くにいなかったので、あわせることができなかったのですが、それにしても、すごい偶然ですよね。このパーティーがあった会場、ダンディーからはちょっと離れていて、しかもかなり田舎にあるのですが、そんなところに、たまたまその選手と家族が来ていた・・・そして、彼に気がついた人もスゴイ。うちの夫も、あまりの偶然にあっけにとられていました。

ちなみに、その選手はDavid Bowmanという人でした。神さまからの粋なウェディング・ギフトだったのかも。

結婚式の引き出物(?)。この飴を作っている会社のサイトをみたら、かわいいモノがたくさん。ダンディーには気の利いたお土産がないなーと思っていたのですが、ここのお店、使えるかも。
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昨日(日曜日)は、二人ともゾンビ状態(笑)。私も疲れたけれども、夫は本当に疲れていると思います。それなのに明日から、またロンドンに出張。7月半ばから、イベント・出張続きで、週末もきちんと休めていないので、大丈夫かな。今週末はゆっくりできるといいけど。

My cup of tea 

私がボランティアをしているオフィスで。

キッチンで、ワーカー Nがお茶を淹れようとしていたので、私も自分のカップにハーブティーを入れ、Nがお湯をそれぞれのカップに注いでくれました。

そのときに電話が鳴ったので、Nはそれを取りにキッチンを出たので、私は普通どおりに、Nのカップからティーバッグを取り出し、ゴミ箱に捨て、冷蔵庫から牛乳をとりだして、Nのお茶に入れたところに、Nが戻ってきました。

Nは自分のカップを見て、「これ、私には薄すぎる」といって、そのお茶を捨てて、新たに淹れなおしました。「私、うるさいのよ。ごめん」。彼女が新たに淹れなおしたカップをみると、かなり紅茶が濃く、ミルクは少しだけ。ティーバッグを取り出すときも、スプーンで押していたくらい。「お湯と牛乳の味だけというのがイヤなの」

私は別に気分を害したわけではなく、つくづく、お茶については人それぞれ、好みがあるんだなーと感心したのでした。

おそらく、多くのオフィスには、それぞれのお茶の好みがかかれた表があるはずです。うちのオフィスでは、Cはミルクをたっぷり淹れる、Gはうすーく淹れたお茶にミルク、Sは砂糖を一杯 &ミルクとか。私の夫は、お茶には2杯の砂糖を入れます。かなり甘めです。

私はそれほどこだわりはありませんが、基本的にはしっかり淹れた紅茶に、ミルクをすこし大目にというのが好きです。気分によって砂糖を一杯いれるときも。

英語の表現にmy cup of teaというのがあります。これは「好み、趣味」という意味で、否定形で使うことが多いような気がするのですが、たとえば、音楽や映画や、ファッションなどで、自分の趣味じゃないなーというときに、It’s not my cup of teaといった感じです。

お茶に関しては人それぞれ好みが違うことから、この表現が来ているようで、コーヒーが主流のアメリカでも使われるのかな?紅茶にこだわるイギリス&アイルランドだけかな?

毎日、いいも悪いも判断する暇もなく多くの情報が飛び込んできて、こちらの感覚もなんだか麻痺してしまうことがあります。そうなるとメディアが「いい」といっているから、いいのかもしれないし、みんなが「面白い」といっているから「面白いのかも」と自分の判断を手放してしまうことがある。ベストセラーだから、みんなが買っているから、みんなが話題にしているから、有名人だから、偉い人がいっているんだから・・・

そういう情報に躍らされながらも、心のどこかでは「ん?」と思っている自分がいる。その声にならない声に耳を傾けられればいいけれども、大体は外からのノイズに消されてしまう。

「ん?」と引っかかったとき、自分の足が情報の流れにすくわれそうになったとき、自分の判断に自信がなくなったとき、ちょっと自分に聞いてみるんです。"Is it my cup of tea?"って。そのときに、もし自分の心が"It’s not my cup of tea."といったら、それが本心なんですね。

お茶の好みと一緒で、理屈はないんですよね。自分の心が「欲しい」と思っているのかどうか。Is it my cup of tea?というのは、私にとって、頭での判断が怪しくなってきたときに、本来の自分に戻るおまじないの言葉なのです。そして、心が"That's my cup of tea!"と叫んだときは、それを大切にしたいと思います。

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And as with all great literature, you feel at moments not that you are examining him, but that he is examining you…. Reader, it’s a challenge.

Margaret Atwood (The Guardian 13.Oct.2006)



2年前にトルコ人作家、オルハン・パムクがノーベル文学賞を受賞した時に、ガーディアン紙に寄せられたカナダ人作家、Margaret Atwoodのこの文を読んで以来、ずっと気になっていました。一体、どんなチャレンジを、オルハン・パムクの作品から突きつけられるのか、自分自身が問われる本って? その挑戦を受けてみたいと思いつつも、手に取ることはありませんでした。

ところが、今年始めごろに、リウマチばあちゃんさんが、オルハン・パムクのSnow を読まれて「おすすめ!」とおっしゃられて、そして点子さんのブログでも、この本を「多くの人に読んでもらいたい本」とご紹介されていて、この本を手に取ることにしました。

母親の葬儀に出席するために、12年ぶりに亡命先のドイツからトルコに一時帰国した詩人のKaは、イスタンブール滞在中に友人から、学生時代の友人、美人のIpekが離婚したことを聞きます。また彼女が住む国境の都市Karsで、ムスリムの少女たちの自殺が相次いでいること、市長選挙が行われることから、Karsでの取材を引き受けます。

バスを乗り継いで雪が降りしきるKarsにむかったKa。Karsに到着したのちも、雪は降り続け、大雪によって道路は遮断されます。Karsの町が雪によって閉じ込められた3日間のあいだに、本人の意思に反して、政治と宗教をめぐる事件や混乱に巻き込まれてしまうKa.、一方で、雪とともに舞い降りてくるように、新しい詩が次々にKaに宿っていく・・・

どうしてMargaret Atwoodが「これはチャレンジよ」と言っていたのかが、分かるような気がしました。といっても、人それぞれ、「試されている」と思う部分は違うのかもしれません。私にとっては、まずムスリムの女性の頭を覆うヘッドスカーフの議論が、それでした。

私が読み違いしているかもしれませんが、トルコでは政教分離ということで、学校ではスカーフの着用を認めないという方針になっているのでしょうか。ところが、Karsでも、少しずつ台頭しつつあるIslamistグループの女性たちが、Islamistとしてのシンボルとしてスカーフを着用している。このスカーフ着用うんぬんの議論が白熱していくにつれ、少しずつげんなりする自分がいるのに気づかされます。

たとえばグループで話をしているときに、突如、政治の話題になり、意見が相反する2人の人が論争をはじめてしまい、ほかの人たちが気まずそうに、話題が変わるのを待っている・・・そんな気まずさを感じながら読んでいました。とくにはっきりした意見があるわけではない、はっきり言って、無関心な事柄に意見を求められるような居心地の悪さ。

Ka自身、もっぱら関心あるのは詩とIpekをドイツに連れて行くことだけで、ヘッドスカーフも、神がいるのかどうかなどは、本来どうでもいいはずなのに、否応なくその議論に意見を求められ、ヨーロッパの奴隷などと非難されるのですが・・・

Kaの亡命先のフランクフルトでの暮らしは、トルコ人コミュニティでは多少、名が知られた詩人ではあるようですが、近年ではトルコ人コミュニティからも遠ざかり、かといって、ドイツ人社会に溶け込んでいるわけでもなく、詩は4年間、まったく書けずというもの。

彼がKarsで「ヨーロッパの奴隷」と批判を受けるたびに、私の心が疼いたのは、彼が、トルコにもドイツにも居場所がないからではないかと思ったのです。だからこそ、Ipekをフランクフルトに連れて行きたかったのは、Ipekとの生活に自分の居場所を見つけられると思ったのではないか?そして今度こそ、自分らしく生きることができると思ったからではないか・・・

世界各地で自爆テロが繰り返され、イスラミスト・グループはじわじわと勢力をのばしつつある今日、彼らの偏狭さや横暴、矛盾、迷いを取り上げるというのは、非常に勇気のいる行為だと思います。もちろん、彼らを一方的な悪者として糾弾せずに、うまくバランスをとった構成になっているのですが、そのさじ加減を間違えると生命が脅かされかねない主題にひるまずに取りくんでいます。

しかし、この物語の素晴らしさはそういった政治や宗教といった複雑で厄介な問題を取り上げている勇気にとどまらず、Kaの繊細さや詩人としての感性、孤独、葛藤、弱さ、優しさ、Ipekへの思慕などを丁寧に描き、幾重ものテーマが巧みに織り込まれた、深みと重量感のあるストーリーになっていると思います。

トルコは現在EU加盟の申請中で、数々の条件をクリアーしようと奮闘しているところですが、この小説を読み終えたあと、「本当に、トルコはEUに加盟してもいいのか?」という疑問が沸いてきました。この場合の「してもいいのか?」というのは、「資格があるのか?」といった意味ではなく、「国内の問題を考えた場合、本当にそれは正しい選択なのか?」「加盟によって、イスラミストたちの横暴さが増すことになるのでは?」といった懸念です。今後、トルコのニュースを聞くときに、この作品ことや、Karsの町を思い巡らすことと思います。

これまでトルコといっても、観光地としての印象しかなく、ほとんど関心を持ったことがありませんでした。行きたいと思ったこともありませんでした。それが、こうして、英訳ですが、トルコ人作家の本を通して、ガイドブックでは分からない、トルコを深く体験できたこと、本当に幸せなことだと思います。このような機会がなければ、決して読むことがなかったと思います。紹介してくださったお二人、リウマチばあちゃんさんと点子さんに感謝。

Democracy in Action! 

私が住んでいるフラットの近くに、もう長いこと空き家になっている家があります。敷地といい、家の大きさといい、ちょっとした邸宅だったのではないかと思うのですが、私たちがここに来る前から空き家だったようなので、庭もまったく手入れされておらず、元からあった木に加え、鳥が落としていった種などから生えた木も加わって、ジャングル状態になっています。

我が家はフラットの最上階にあり、ちょうどこの家の庭を見下ろす位置にあります。季節感がいまひとつ乏しいスコットランドですが、春にはどれかの木がピンクの花を咲かせ、鳥たちがさえずり、初々しい新緑が春の光に輝き、夏になるとその緑は濃くなり、秋になると紅葉した葉が朝日を浴びて輝く。葉を落とした冬の木立と常緑樹の景色も趣があっていいものです。

ところが、先月、役所から手紙が来ました。あの家を取り壊すという報せでした。家の所有者は、空き家を取り壊して、2階建てのフラットを建設する予定とのこと。

「あの庭がなくなってしまう」・・・そう思ったら、なんともいえない寂しさに襲われました。でも、それは私一人のわがままな感情。家の持ち主が決めた以上、どうすることもできない・・・希望としては、あの建物の外観は残して、中を改装すればいいのに。せめて、できるだけ、あの庭の木々は残してほしい・・・

しばらくすると、ポストに一枚の紙が入っていました。だれかは分からないのですが、このエリアの住人の一人が、あの家の取り壊し反対を呼びかける手紙を書き、それを家々のポストに入れて回っているようでした。あの庭がなくなることに心を痛めている人は私だけではなかったんだな・・・

そして、また数日が経ち、夫が彼の友達からのメールを転送してきました。そのメールはその友人のガールフレンドからのもので(彼女はこのエリアのフラットを持っていて、友人に貸している)、あの空き家の取り壊しに対する反対署名が役所のホームページから出来るという内容のものでした。

その指示通りに役所のホームページから、該当する件のページにアクセスし、氏名、住所、そして反対理由記入することができました。

その数日後に夫と私、それぞれに役所から手紙がきて、私たちの反対署名を受理したとのこと。

それから約一ヶ月が経ち・・・・

「あの家の件、どうなったのかね」と話していたら、私と夫に、役所から見覚えのある封筒が入っていました。

おそるおそる封をあけて、手紙を読むと・・・家の取り壊し計画は、持ち主が正式に取り下げたとのこと!帰宅した夫にそのことを報せると、”Democracy in action!” 

取り壊し反対の署名がたくさんあったのでしょうね。それから、多分、このご時世、新しいフラットを建設しても売るのが難しい・・・というのも理由のひとつにあるのかも。この近辺、いくつか新しいフラットが建設中ですが、たぶんそれらも売るのに苦労すると思うし。

ちょっと複雑な思いも・・・あの家、これからもずっと空き家のままになるってことだよね?本当は、あの家を改装して欲しいんだけれどもなぁ。

とりあえず、当分の間は、この景色を楽しむことができるので嬉しいです。

我が家のリビングルームから見た空き家と庭
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昔の携帯電話のカメラで撮ったので画質が悪いのですが、秋のようす。
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もとは会社だったのかな・・・?

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屋根と壁から木が生えているのにご注目。これ、なんとかしたほうがいいと思う・・・

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ある晴れた日に 

なんと、今月の投稿数、2桁になりました。一年ぶりです(笑)。

先週の前半は、夏らしい一日が続き、「おぉ、夏だ〜」と思ったのも束の間、霧がたちこめる日が続いています。今日、日本に帰られる予定のお友達が、空港から電話してくださったのですが、霧のせいで飛行機が飛べないらしく、結局5時間おくれでく飛行機に乗れたとのこと。ただし、次の日本行きの飛行機には、もう間に合わないので、どうなるかな・・・と不安なようでした。最後まで、スコットランドらしさを体験して帰られることになったようで・・・

テイ川と鉄橋。向こう岸はFife。
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夕方、夫が「外、見てみなよ」というので、窓の外をみるとピンクの雲が。
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南側の風景
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