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And as with all great literature, you feel at moments not that you are examining him, but that he is examining you…. Reader, it’s a challenge.
Margaret Atwood (The Guardian 13.Oct.2006)
2年前にトルコ人作家、オルハン・パムクがノーベル文学賞を受賞した時に、ガーディアン紙に寄せられたカナダ人作家、Margaret Atwoodのこの文を読んで以来、ずっと気になっていました。一体、どんなチャレンジを、オルハン・パムクの作品から突きつけられるのか、自分自身が問われる本って? その挑戦を受けてみたいと思いつつも、手に取ることはありませんでした。
ところが、今年始めごろに、リウマチばあちゃんさんが、オルハン・パムクのSnow を読まれて「おすすめ!」とおっしゃられて、そして点子さんのブログでも、この本を「多くの人に読んでもらいたい本」とご紹介されていて、この本を手に取ることにしました。
母親の葬儀に出席するために、12年ぶりに亡命先のドイツからトルコに一時帰国した詩人のKaは、イスタンブール滞在中に友人から、学生時代の友人、美人のIpekが離婚したことを聞きます。また彼女が住む国境の都市Karsで、ムスリムの少女たちの自殺が相次いでいること、市長選挙が行われることから、Karsでの取材を引き受けます。
バスを乗り継いで雪が降りしきるKarsにむかったKa。Karsに到着したのちも、雪は降り続け、大雪によって道路は遮断されます。Karsの町が雪によって閉じ込められた3日間のあいだに、本人の意思に反して、政治と宗教をめぐる事件や混乱に巻き込まれてしまうKa.、一方で、雪とともに舞い降りてくるように、新しい詩が次々にKaに宿っていく・・・
どうしてMargaret Atwoodが「これはチャレンジよ」と言っていたのかが、分かるような気がしました。といっても、人それぞれ、「試されている」と思う部分は違うのかもしれません。私にとっては、まずムスリムの女性の頭を覆うヘッドスカーフの議論が、それでした。
私が読み違いしているかもしれませんが、トルコでは政教分離ということで、学校ではスカーフの着用を認めないという方針になっているのでしょうか。ところが、Karsでも、少しずつ台頭しつつあるIslamistグループの女性たちが、Islamistとしてのシンボルとしてスカーフを着用している。このスカーフ着用うんぬんの議論が白熱していくにつれ、少しずつげんなりする自分がいるのに気づかされます。
たとえばグループで話をしているときに、突如、政治の話題になり、意見が相反する2人の人が論争をはじめてしまい、ほかの人たちが気まずそうに、話題が変わるのを待っている・・・そんな気まずさを感じながら読んでいました。とくにはっきりした意見があるわけではない、はっきり言って、無関心な事柄に意見を求められるような居心地の悪さ。
Ka自身、もっぱら関心あるのは詩とIpekをドイツに連れて行くことだけで、ヘッドスカーフも、神がいるのかどうかなどは、本来どうでもいいはずなのに、否応なくその議論に意見を求められ、ヨーロッパの奴隷などと非難されるのですが・・・
Kaの亡命先のフランクフルトでの暮らしは、トルコ人コミュニティでは多少、名が知られた詩人ではあるようですが、近年ではトルコ人コミュニティからも遠ざかり、かといって、ドイツ人社会に溶け込んでいるわけでもなく、詩は4年間、まったく書けずというもの。
彼がKarsで「ヨーロッパの奴隷」と批判を受けるたびに、私の心が疼いたのは、彼が、トルコにもドイツにも居場所がないからではないかと思ったのです。だからこそ、Ipekをフランクフルトに連れて行きたかったのは、Ipekとの生活に自分の居場所を見つけられると思ったのではないか?そして今度こそ、自分らしく生きることができると思ったからではないか・・・
世界各地で自爆テロが繰り返され、イスラミスト・グループはじわじわと勢力をのばしつつある今日、彼らの偏狭さや横暴、矛盾、迷いを取り上げるというのは、非常に勇気のいる行為だと思います。もちろん、彼らを一方的な悪者として糾弾せずに、うまくバランスをとった構成になっているのですが、そのさじ加減を間違えると生命が脅かされかねない主題にひるまずに取りくんでいます。
しかし、この物語の素晴らしさはそういった政治や宗教といった複雑で厄介な問題を取り上げている勇気にとどまらず、Kaの繊細さや詩人としての感性、孤独、葛藤、弱さ、優しさ、Ipekへの思慕などを丁寧に描き、幾重ものテーマが巧みに織り込まれた、深みと重量感のあるストーリーになっていると思います。
トルコは現在EU加盟の申請中で、数々の条件をクリアーしようと奮闘しているところですが、この小説を読み終えたあと、「本当に、トルコはEUに加盟してもいいのか?」という疑問が沸いてきました。この場合の「してもいいのか?」というのは、「資格があるのか?」といった意味ではなく、「国内の問題を考えた場合、本当にそれは正しい選択なのか?」「加盟によって、イスラミストたちの横暴さが増すことになるのでは?」といった懸念です。今後、トルコのニュースを聞くときに、この作品ことや、Karsの町を思い巡らすことと思います。
これまでトルコといっても、観光地としての印象しかなく、ほとんど関心を持ったことがありませんでした。行きたいと思ったこともありませんでした。それが、こうして、英訳ですが、トルコ人作家の本を通して、ガイドブックでは分からない、トルコを深く体験できたこと、本当に幸せなことだと思います。このような機会がなければ、決して読むことがなかったと思います。紹介してくださったお二人、リウマチばあちゃんさんと点子さんに感謝。
- [2008/07/31 14:07]
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Comments
「私の名は紅」も読みたいのだけれど・・
読まれたのですね。
実に読み応えのある本でした。・・と言うか、歯ごたえが有り過ぎて私の歯の方がボロボロ・・いえ、読み終わった後は頭がボーッとしてしまいました。(笑)
私は自分の勝手な思いこみで、イスラム女性は宗教によってスカーフを被らされたり、多妻を受け入れさせられている、抑圧されている、という印象を持っていました。スカーフこそが女性抑圧のシンボルで、イスラム女性は本心はスカーフなんて被りたくないのだと思っていました。でもそれは私達非イスラムの見方であって、イスラムを信じている女性にとってはスカーフを被ることが正しい行いなのですね。現在イスラミストの政党が政権を取って、女性のスカーフを被る権利を認めようという動きが出ているようですが、憲法では禁止している。それで憲法を変えようとしているらしいです。
だからイスラム教は非現代的なのだ、と西洋的な考えでは結論を出してしまいがちなのですが、イスラムを信じている人達にはそれは絶対的な教えです。どちらが正しい、正しくないではなく、違いがあるということを認め、他の宗教を尊重する気持ちが大事なのではないか、とsnowを読んで思うようになりました。
オルハン・バムクは世界に向けてイスラムの人達の考えを紹介しているのではないかとこの本を読んで感じました。
「私の名は紅」も読みたいのだけれど、ボリュームに圧倒されて躊躇っています。
お、おもしろそう...
みなさんのレビューを拝読しましたが、それぞれが面白くてやっぱり読みたくなっちゃいますねー。
トルコの女性のスカーフのこと、私も聞いたことがあります。
東西の文化が融合しているトルコはその広大さもあり、ひとつの価値観だけでは語れないですよね。良いや悪いという価値観も無意味かな、って思います。
ヨーロッパの仲間入りをしたい面もあり、今までの価値観を変えたくない面もあり。自分たちの習慣を古臭くて恥ずかしいと思う人たちもいれば、ずっとそうやって生きてきたのだから変化したくないと思う人たちもいる。
たかがスカーフですが、されどスカーフ。被る自由がなくなるというのは同じ女性としてなんとも心もとない、悲しいことなのではないかと...察することしか出来ませんが。
生きづらいのは本当に辛いですもんね。
リウマチばあちゃん
読み終えたのが6月末だったのですが、いったい、どう感想をまとめたらいいやら・・・とぐずぐずしているあいだに一ヶ月経ってしまって・・・多分、一度では消化しきれていないなーという印象をもっています。この本に書かれていたこと、どれだけ理解できたかな・・・
Margaret Atwoodだったかほかの人の文だったか忘れたのですが、トルコでは彼の本が預言書のようにして読まれているらしいのですが、なんとなくその意味、トルコでの彼の作家としての存在の大きさが分かるような気がします。新作
も出ているようですね。なかなか距離を縮められないイスラム教ですが、彼のような作家の作品を通して、少しずつ、ムスリムの人たちの視点から、物をみることができたら・・・と思います。
ヘッドスカーフについては、かぶっている、いないで、その人の信仰を測れるものではないように思います。イスラム教といっても、地域によって、また伝統、社会によって、暮らしが違うと思うのですが、やっぱり部外者にはわかりにくいですよね。そういう人々の思いを無視して、政府が強引に思惑を押し通そうとすれば、やはり軋轢が生じると思います。
リウマチばあちゃんさんが挙げていらっしゃるMy Name is Redも読んでみたいし、Snowの「私」が主人公というBlack Bookも読んでみたいけど、いつになるかなー。
あきさん
ぜひ、チャンスがあったら読んでみてください!本当に、深い作品なのです。かなり重いですが・・・秋になって、おいしいものを食べて、スタミナがついたときにでも。
Islamistみたいなグループが台頭してくる一方で、政府のほうはEUに加盟したいために、ヨーロッパに近づこうとして、ちょっと強引になっている・・・その狭間にいる普通のトルコ国民は戸惑っているのかもしれません。スカーフかぶる、かぶらないは、それぞれの信仰において決めればいいこと、と思うのですが、それが自身の政治的表明と結びついてしまうのは、やはり息苦しいですよね。
もっと早くコメントを書きたかったのですが、いろいろ考えて書きあぐねていました。私などと違ってきちんと考えを言語化されていてさすがです。私もリウマチばあちゃんさんと同様、「抑圧」のシンボルとしてスカーフを最初考えていたので大変な驚きでした。またこの本を読んでいるとき偶然英会話のレッスンでキリスト教からムスリムに転向した女性の先生に出会い、本当に私たちが思っていもいないような観点から話を聞くことができました。ケニア出身の彼女はスカーフのことをhijabと呼び、大変誇りにしています。さて「雪」邦訳の前書きには訳者が文化的背景としてスカーフは教育現場と公の場では憲法によって禁じられている(!)ことと、イスラム政党は逆にこれを奨励し、信仰心から着用するものもあるが、政党がこれに奨学金や報奨金を出す例もあると書かれていて、問題が非常に複雑であることがわかります。ただ、ヨーロッパ人権法廷はこの政府による禁止を「合法」としているそうで、私には大変ショックでした。それこそあまりに「西洋」的な判断ではないのでしょうか。「作品の力」にひきずられて、あやしい英語力で最後まで読んだ私ですが、もう一度読みたいくらいなのです。しかし、パワーが・・・My name is Redも最初の方だけ読んで、「つんどく」状態ですが、ぜひまたチャレンジしたいと思っています。
点子さん
スカーフ着用についての詳しいお話、ありがとうございます!イギリスでは教育の場でもスカーフの着用を認めているし、日常でもスカーフをかぶっている人、たくさんみかけるので、普通の光景に見えるのですが、イスラム教徒が大多数のトルコではそれを禁じ、ヨーロッパ人権法廷でもそれを認めているのが、私にも驚きです。イスラミストの台頭を抑えようとしてるのかなぁ?
ちなみに、普段私がみかけるムスリムの女性でスカーフをかぶっている方たちは、イスラミストではなく、普通のムスリムの方たちで、かぶっている人もいるし、かぶっていない人もいて、おそらくスカーフの着用はそれぞれの家庭で「自然」な流れで、決まっているのかなと思います。
私も一度では、この小説を消化できたようには思えないので、いつか機会があったら読み返してみたいなーと思います。
本のご紹介、ありがとうございました!
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